スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 2022.11.22 Tuesday
  • -
  • -
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

楊市から多獅島港まで

多獅島鉄道は楊市から多獅島港までを結ぶ路線です。

ただし、「日本鉄道旅行地図 朝鮮・台湾」(平成21年11月20日 新潮社)によると、沿革としては、まず昭和14年に、南新義州から多獅島までを結ぶ多獅島鉄道として開業し、昭和15年には楊市―南市間が開通、その後、昭和18年に南新義州―南市間が朝鮮総督府に買収されて楊市線になり、多獅島鉄道として残されたのが楊市―多獅島港間ということになるようです。

 

「日本鉄道旅行地図 朝鮮・台湾」(平成21年11月20日 新潮社)によると、楊市から多獅島港までには

 

北中―北峴―龍岩浦―徳峯―不二―多獅島―西多獅島

 

の7駅があります。

 

なお、開業時期の関係で「朝鮮列車時刻表」昭和13年2月号には記載がなく、「満洲支那汽車時間表」昭和15年8月号では路線図上に新義州―多獅島間は存在しているものの、本文には記載がありません。

 

龍岩浦については、「釜山鴨緑江間写真帖」(年不祥 朝鮮総督府鉄道局)にこうあります。

 

「龍岩浦は、鴨緑江口にあり、新義州を距る下流五里、港内の平水、僅かに五尺に充たさるも、干満の差、普通十尺を下らす、故に深吃水の、船舶は常に、満潮を利用して、出入す、戸数二百五十、人口一千余」

 

 

「釜山鴨緑江間写真帖」(年不祥 朝鮮総督府鉄道局)より「龍岩浦」

 

多獅島については、「朝鮮満洲旅の栞」(昭和13年8月15日 南満洲鉄道株式会社東京支社)に以下の記述があります。

 

「曾て昭和製鋼所問題で有名になつた処で新義州から南方陸路三七粁鴨緑江口にある不凍港で築港完成の暁は優に三千噸乃至六千噸の汽船十隻を同時に繋留し得る良港となる。

総督府が五十万円を投じて施設した倉庫敷地及突堤道路等は昭和五年竣工したものであるが、現在では狭少に過ぎ最近多獅島鉄道会社によりて新義州と南市から鉄道が施設され各種開発計画と相俟つて大貿易港としての出現が予想されてゐる。」

 

多獅島鉄道は以上です。

 

そして、朝鮮半島の日本統治時代の鉄道については、ほぼ網羅したので、これで朝鮮半島編を終えます。

 

ということで、年明けまで、少しお休みします。

 


南市から南新義州まで

楊市線は京義本線の南市から分岐して、やはり京義本線の南新義州までを繋ぐ路線です。

 

「日本鉄道旅行地図 朝鮮・台湾」(平成21年11月20日 新潮社)によると、昭和14年から15年にかけて開通しています。

 

「日本鉄道旅行地図 朝鮮・台湾」(平成21年11月20日 新潮社)によると、南市から南新義州までには

 

寿亭―内中―堂嶺―龍洲―楊市―立岩―楽元

 

の7駅があります。

 

寿亭と堂嶺は、ともに昭和15年に開業していますが、昭和19年に廃止になっています。

 

楊市からは多獅島鉄道が分岐しています。

と言うよりも、「日本鉄道旅行地図 朝鮮・台湾」(平成21年11月20日 新潮社)の記述から考えると、まず南新義州から多獅島を結ぶ多獅島鉄道として開業し、昭和18年に南新義州―南市間が朝鮮総督府に買収され、楊市線となったようです。

 

これら以外の駅についての記述は手元の資料にはありません。

 

なお、開業時期の関係で「朝鮮列車時刻表」昭和13年2月号には記載がありません。

 

楊市線は以上です。

 


定州から鴨緑江中心まで

平北鉄道は京義本線の定州から鴨緑江中心までを結ぶ私鉄です。

朝鮮と満州の国境地帯へ向う路線ですが、満洲側にはそれに対応した路線は日本統治時代には存在しなかったようです。

 

途中駅については不明ですが、昭和14年に全線開通しています。

 

「日本鉄道旅行地図 朝鮮・台湾」(平成21年11月20日 新潮社)によると、定州から鴨緑江中心までには

 

高安―鳳鳴―方峴―平北亀城―白雲―大安―大舘―昌坪―朔州温泉―朔州―新安―富豊―青水

 

の13駅があります。

 

なお、開業時期の関係で「朝鮮列車時刻表」昭和13年2月号には記載がなく、「満洲支那汽車時間表」昭和15年8月号では路線図上には存在しているものの、本文には記載がありません。

 

朔州温泉は朔州温泉の最寄駅です。

「朝鮮の展望」(昭和9年9月1日 大阪屋号書店)には、朔州温泉について、こうあります。

 

「朔州温泉は平安北道、鴨緑江の左岸にあつて内地気分の豊かな風光のよい温泉場で、泉量も潤沢である。新義州から六時間ばかり自動車の便があり、車上流す筏を眺めながらその昔馬賊が出たり、虎が出たといふ悲喜交々の話を聞くのもなかなか興味がある。温泉場にはライオンホテルといふ堂々たる旅館があつて、設備もよく国境を旅する人は大いに繰合せて一浴するとよい。」

 

「朝鮮全名勝写真帖 CONCISE ALBUM OF CHOSEN」(昭和10年4月1日 大正写真工藝所京城営業部)より「朔州温泉」

 

富豊からは水豊および水豊湖岸までを結ぶ2本の支線が出ています。

どちらも1区間のみです。

いずれも水豊ダム方面に向っています。

 

「日本鉄道旅行地図 朝鮮・台湾」(平成21年11月20日 新潮社)には富豊から次の青水にかけての拡大図が掲載されていますが、それによると、鴨緑江の朝鮮側に青水があり、橋で鴨緑江を越えた先に終点の鴨緑江中心があることになっています。

したがって、鴨緑江中心のみ、満洲国側に駅があることになります。

 

これら以外の駅についての記述は、手元の資料にはありません。

 

平北鉄道については以上です。

 


鎮南浦から龍岡温泉まで

朝鮮平安鉄道は私鉄で、「日本鉄道旅行地図 朝鮮・台湾」(平成21年11月20日 新潮社)によると、昭和13年7月に鎮南浦―龍岡温泉間を開業しています。

 

「日本鉄道旅行地図 朝鮮・台湾」(平成21年11月20日 新潮社)によると、鎮南浦から龍岡温泉までには

 

柳沙―海山―徳洞―平南新徳―東広梁―西広梁―花島―路上―東貴城―貴城

 

の10駅があります。

 

手元の資料には、この10駅についての記述はありません。

 

また、開業時期の関係で、参照している「朝鮮列車時刻表」昭和13年2月号には記載がありません。

 

朝鮮平安鉄道は以上です。

 


鎮南浦(2)

港湾以外の施設として、以下の写真があります。

 

「全日本観光写真大観」(昭和12年7月29日 知進社)より「鎮南浦無線電信局」

 

「朝鮮満洲旅行案内」(昭和4年7月15日 鮮満案内所)には、

 

久原鉱業の製錬所があり、四里を隔てた広梁湾には総督府の製塩所もある。

 

と書かれています。

 

「釜山鴨緑江間写真帖」(年不祥 朝鮮総督府鉄道局)より「広梁湾」

 

「釜山鴨緑江間写真帖」(年不祥 朝鮮総督府鉄道局)では、年不詳(推定明治年間)ながら、総戸数3500余、人口12000余人。

「朝鮮満洲旅行案内」(昭和4年7月15日 鮮満案内所)では、人口30500余人うち内地人5200余人。

 

「釜山鴨緑江間写真帖」(年不祥 朝鮮総督府鉄道局)より「鎮南浦」

 

「朝鮮満洲旅行案内」(昭和4年7月15日 鮮満案内所)には、遊覧地として三和花園、飛溌島、梅山里古墳が挙げられています。

また、「龍岡温泉は鎮南浦から七里自動車の便がある」と書かれています。

 

旅館として朝日館(三和町)、浪花館(三和町)、二鷹旅館(三和町)、上田(駅前)が紹介されています。

 

神社に触れておきます。

 

「恩頼 朝鮮神宮御鎮座十周年記念」(昭和12年11月20日 朝鮮神宮奉賛会)より「鎮南浦神社」

 

最後になりましたが、鎮南浦からは龍岡温泉までを繋ぐ朝鮮平安鉄道に接続しています。

また、「日本鉄道旅行地図 朝鮮・台湾」(平成21年11月20日 新潮社)によると、明治43年に鎮南浦として開業し、昭和18年に鎮南浦埠頭に改称しています。

 

鎮南浦および平南線は以上です。



calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

sponsored links

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM