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  • 2013.12.08 Sunday
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新京(16)

「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)のものを中心に面白そうな広告を。

























以上で、新京を終えます。

新京(15)

観光コースに入らなかったり、場所が特定できなかった街並みを最後にまとめてご紹介します。
 
「最新満洲展望」(昭和19年2月10日 大正写真工芸所)より「新京・商埠地大馬路」


「大満洲国名所風俗写真帖」(昭和9年2月5日 尚美堂)より「新京新市街の盛観」


「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「新市街に於ける住宅地区(北安路)」


「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「北安路市営住宅」


「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「浄月潭水源池」

 
補足として、「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)、「満洲の旅」(昭和15年 マンチュリア・デーリー・ニュース)から、建物の写真が入った広告をいくつかご紹介します。














新京(14)

日本側の宗教施設を。
 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「東本願寺満洲別院」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「日蓮宗経王寺」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「西本願寺別院」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「金剛寺(高野山)」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「金光教会」

 
絵葉書「満洲新京浄土宗長春寺絵葉書」より「満洲新京浄土宗長春寺 長春寺全景」

 
絵葉書「満洲新京浄土宗長春寺絵葉書」より「満洲新京浄土宗長春寺 長春寺本堂正面並ニ鄭総理国葬與利用ノ地蔵堂」

 
絵葉書「満洲新京浄土宗長春寺絵葉書」より「満洲新京浄土宗長春寺 長春寺本堂内陳」

 
新京神社はこちらをご覧ください。
 
なお、「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)によると、新京市内には新京神社の他に新京稲荷神社・力行神社の2社がありました。
また、日系寺院は「東本願寺満洲別院、他一五」、教派神道については「天理教は市内北安路にある伝道庁の他に二一、金光教は一、御嶽教は二、神理教の教会があり」とあります。
 
ちなみにキリスト教の教会は34となっています。
 
これは中国系の新興宗教ですが、ついでにご紹介。
 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「世界紅卍会」

新京(13)

公園や娯楽施設を。
 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)によると「橋(注:日本橋)の袂に日本橋公園(俗に東公園ともいふ)がある。本書の扉に出した怪獣が二頭入口に相対してゐる。園内には附属地買収時代の記念の建物創業館がある」とあります。
 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「日本橋公園」

 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)の扉写真

 
なお、この怪獣について、写真上の解説には「大正十四年満鉄東站鉄道工場で作つたもので(略)現鉄道総局建設事務所主任江崎さんの創作するところだと云ふ」とあります。
 
また、文中の創業館について、「簡易満洲案内記」(昭和13年 南満洲鉄道株式会社)に「伊藤博文公が哈爾濱駅頭に斃るゝ前、当時長春と呼んだ当地を通過、此の建物の中で開かれた酒宴に臨んだ所である」とあります。
 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「長春満鉄附属地の建設事務所であつた創業館」


「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)には「協和会の前が白山公園、入口に据えてある石羊は郊外義和屯から発掘されたもので、(略)石虎と共に発見したものださうだ。石虎は順天公園にに(ママ)据えてある」とあります。
 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「白山公園」

 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「白山公園・石羊」

 
大同公園は「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)によると「協和会の隣が大同公園、国都建設計画によつて出来た最初の公園で、野外大音楽堂、プール等がある。友邦伊太利帝国首都ローマ市民から新京市民へ心をこめての贈り物牝狼の像も園内にある」とあります。
 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「大同公園」

 
「最新新京概観」(昭和17年2月25日 大正写真工藝所新京営業部)より「風趣溢るゝ大同公園の麗色」

 
「最新新京概観」(昭和17年2月25日 大正写真工藝所新京営業部)より「園内、牝狼の像」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「プール(大同公園)」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「スケートリンク(大同公園)」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「音楽堂(大同公園)」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「相撲場(大同公園)」

 
大同公園の前にあるのが牡丹公園です。
地図を見ると1ブロックおいて白山公園もある、公園の集中した地区になっています。
 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「牡丹公園」

 
「最新新京概観」(昭和17年2月25日 大正写真工藝所新京営業部)より「牡丹公園内 神武殿」

 
順天公園は治安部・国務院の後方から大同大街の東まで続く大きな公園ですが、「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)によると、未完成だということです。
 
「最新新京概観」(昭和17年2月25日 大正写真工藝所新京営業部)より「明朗麗らかな順天公園の清景」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「動植物園(南嶺)」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「賽馬場風景」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「ゴルフ場(翔運街)」

新京(12)

今回は学校や研究機関などを。
 
大陸科学院は「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)によると、国務総理大臣直属の綜合研究機関で、康徳2年に設置され、庁舎は康徳4年に竣工しました。

「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「大陸科学院」

 
「輝く満洲」(康徳8年12月25日 マンチユリア・デーリー・ニウス)より「大陸科学院」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「大陸科学院」

 
大同学院は「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)には、「建国の大理想を体し国家の一糸乱れざる統制下に、一身を顧みず邁進する青年官吏層の拡大強化を図るべく開設されたのが本学院で、国務院に直属する」とあります。

「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「大同学院」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「大同学院」

 
新京医科大学は、「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)によると、吉林から康徳3年に移転して来て新京医学校と称したが、康徳5年に医科大学に昇格したもの。
「新京案内」の時点では千早病院に隣接した仮校舎で、「日本人は在学しない」が、新校舎落成後には日満共学となる予定で、「講義はすべて日本語を以てし、ドイツ語英語等は一切使用しないことが本校の特色である」とのことです。

「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「新京医科大学」

 
建国大学は康徳5年開学の満洲国の最高学府です。
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)には「学生は満洲帝国を構成する各民族の青年中より選抜された俊秀で現在満・日(鮮台)蒙・露の各民族合せて百四十一名が、学科に軍事に武道に農作業に、猛訓練を受けてゐる」とあります。

「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「建国大学」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「大経路国民学校」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「白菊在満国民学校」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「錦ヶ丘高等女学校」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「新京第一中学校」

新京(11)

続いて、おそらくは半官半民の性格を持つのであろう企業やそのビルを。
 
満洲映画協会は「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)によれば、特殊会社法によって康徳4年に設立されました。
「就中康徳六年十一月本市洪熙街に東洋一を誇る近代的な大スタジオを設けて映画部門の充実に一段の飛躍をなしてゐる」とあります。

「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「満洲映画協会」

 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「大興ビル」

 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「海上ビル」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「東拓ビル」

 
満洲新聞は、「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)によると、満洲日々新聞の姉妹紙で、大新京日報から昭和12年に改題したものです。

「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「満洲新聞社」

 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「新京日日新聞社」

 
満洲事情案内所は、「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)には「大同二年一月に創立せられ、康徳六年末政府全額出資の準特殊会社となり多数の資料を蔵し、各方面と密接なる聯絡を採り満洲事情の紹介に必要なる印刷物の刊行、其の他参考資料の蒐集等を行つてゐる」とあります。

「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「満洲事情案内所」

 
新京観光協会は、「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)によると、康徳3年創立で、康徳5年に新京駅前に事務所を移して観光案内所を経営、観光客に対し躍進国都の紹介宣伝に努めています。

「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「ジヤパン・ツーリスト・ビユーロー 新京観光協会」

 
満鉄新京支社は、「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)によると、明治40年以降、南満洲鉄道長春出張所→経理係→長春地方事務所→新京事務局と改称の後、昭和12年に新京支店となっています。

「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「満鉄新京支社」

 
新京ヤマトホテルは、「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)に「明治四十二年の建設で、六二〇、五五八・七九平方米の敷地に、六、六三九・三八平方米の純洋風建築である」とあります。

「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「新京ヤマトホテル」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「新京野菜貯蔵庫」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「新京酪農株式会社」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「屠宰場」

新京(10)

次は新京市立の施設を。
いずれも旅行案内に登場するような施設ではないので、こちらもほとんど説明なしで写真のみの紹介となります。
 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「新京図書館」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「市立職業紹介所」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「市立第一医院」

 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)には「衛生技術廠の前に市立千早病院(伝染病棟)がある」と紹介されています。
 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「市立千早病院」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「千早医院」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「防疫所」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「市立中央通保健所」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「新京戒煙所」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「市立共同墓地」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「市立火葬場」

 
以下、運営主体は手元の資料ではわかりませんが、公的なものとして。
 
「全満洲名勝写真帖」(年不詳 日信洋行)より「将校集会所」

 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「国防会館」

新京(9)

以下、観光バスのコースから漏れた建物や施設を見ていきましょう。
 
まずは満洲国の官庁です。満洲国の行政機構は何度か改組されていますし、国都建設の進展に従って、庁舎が移転したり同居したりしていますが、勉強不足でそのあたりのことは、私の中で明確に整理されていません。
そのため、残念ながら以下は単なる写真の羅列となります。
 
「満洲風物写真帖 附満洲大博覧会写真」(昭和8年8月15日 満洲大博覧会)より「執政府」

 
「最新満洲写真帖 附旅順戦蹟」(昭和10年8月1日五版 大正写真工藝所新京営業所)より「外交部(一階)と司法部(二階)」

 
「最新新京概観」(昭和17年2月25日 大正写真工藝所新京営業部)より「司法部の偉容」

 
「最新新京概観」(昭和17年2月25日 大正写真工藝所新京営業部)より「街頭を圧する中央法衙の偉観」

 
「全満洲名勝写真帖」(年不詳 日信洋行)より「満洲国立法院」

 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「交通部」

 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「内務局」

 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「外務局」

 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「産業部」

 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「専売総署」

 
「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)より「民生部」

 
「国都新京」(康徳9年7月30日 新京特別市公署)より「中央観象台」

 
「全満洲名勝写真帖」(年不詳 日信洋行)より「満洲国刑務所(新京)」

 
これは日本側の施設になりますが、満洲国と日本国は一応別の国ですから領事館がありました。

「全満洲名勝写真帖」(年不詳 日信洋行)より「日本領事館」

新京(8)

建国忠霊廟を後にして、黄龍公園にある南湖を経て、北上します。

「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)によれば、「安民広場の南に見える南湖は、人造の湖水で周廻二里完成の暁は遊覧汽船の計画さへある」。
 
「最新新京概観」(昭和17年2月25日 大正写真工藝所新京営業部)より「黄龍公園内 南湖々畔」

 
南湖の北の安民広場から北に延びる順天大街と興仁大街の交差点に国務院の庁舎があります。
「満洲の旅」(昭和15年 マンチュリア・デーリー・ニュース)には「この宏壮雄大なる庁舎は康徳三年十二月、工費二百五十万円で竣成した東洋風石造建築にして国都の諸建築物を断然凌駕してゐる」とあります。
 
「若き満洲 写真に観る」(康徳5年7月 満洲帝国政府?)より「国務院」

 
「輝く満洲」(康徳8年12月25日 マンチユリア・デーリー・ニウス)より「国務院」

 
「第一回登録 満洲国写真集」(康徳8年12月25日 満洲事情案内所)より「国務院(新京)」

 
「最新新京概観」(昭和17年2月25日 大正写真工藝所新京営業部)より「満洲帝国国務院庁舎」

 
順天大街がそのまま突き当たった先の広大な敷地が、宮廷造営地です。
「満洲の旅」(昭和15年 マンチュリア・デーリー・ニュース)によると
 
宮廷府は南北約二千二百米、東西約四百五十米、その面積は五十一万二千平方米で南は興仁大路に面し、他は東西両万寿大街によつて囲繞せられ、造営予算約千四百万円八ヶ年継続事業となつてゐる。
 
とあります。
ただし、結局終戦までに完成に至らなかったためか、手元の資料には写真がありません。
 
≪満語コース≫がこの後に回る衛生技術廠と放送局も、残念ながら写真はありません。
 
宮廷造営地の北側を、大同広場から北西に延びるのが興安大路です。
 
「最新新京概観」(昭和17年2月25日 大正写真工藝所新京営業部)より「興安大路の街景」

 
日語・満語両コースが立ち寄る≪三中井≫と≪宝山≫は、いずれも百貨店の名前です。
 
「最新新京概観」(昭和17年2月25日 大正写真工藝所新京営業部)より「栄気漲る明朗なる繁華街、新発路 宝山百貨店附近の盛観」

 
下は「新京案内」(康徳6年1月1日 新京案内社)に掲載のそれぞれの広告です。
 

 

 
かくして、バスは新京駅前に戻り、市内観光は終了します。

新京(7)

日本人の皆さんは経済部を経てさらに南下し、南嶺の戦跡に立ち寄ります。
 
「簡易満洲案内記」(昭和13年 南満洲鉄道株式会社)に簡潔な説明があります。
 
南嶺は満洲事変前、東北軍の砲兵営竝歩兵営があつて当時の長春市街にとつて最も危険視せられた箇所であるが、満洲事変勃発に際し我軍奇襲に依つて之を占領し、長春市街に事無きを得た。敵は砲兵一三七〇名、歩兵二三五〇名、曲砲三六門、機関銃六銃、他に迫撃砲隊、歩兵砲隊、砲各六門を有してゐた。公主嶺独立守備隊に属する第四聯隊第二大隊は昭和六年九月十九日の未明、先づ砲兵営の敵砲十六門を破壊し、次いで第一大隊の救援を得て苦戦の上、午後四時歩兵営を占領したのであつた。
 
また、「満洲の旅」(昭和15年 マンチュリア・デーリー・ニュース)には「小丘から兵営に向つて突撃した倉本少佐以下中隊将卒の墓は其戦死せる個所に墓標を以て記されてあり」とあります。
 
「素描大満洲」(昭和16年12月25日 細谷真美館大連出張所)より「新京……『南嶺戦跡紀念碑』」

 
「最新新京概観」(昭和17年2月25日 大正写真工藝所新京営業部)より「南嶺戦跡と其記念碑の聖観」

 
「全満洲名勝写真帖」(年不詳 日信洋行)より「南嶺戦蹟倉本少佐外勇士の墓」

 
「全満洲名勝写真帖」(年不詳 日信洋行)より「我が平射歩兵砲の弾痕」

 
「全満洲名勝写真帖」(年不詳 日信洋行)より「三十六門中一部の残骸」

 
「全満洲名勝写真帖」(年不詳 日信洋行)より「当時の支那歩兵営の弾痕」

 
「全満洲名勝写真帖」(年不詳 日信洋行)より「現在の南嶺兵舎」

 
南嶺に引き続き立ち寄るのは建国廟=建国忠霊廟です。
宮廷府の敷地内に創建された建国神廟とは別のものです。
 
「満洲の旅」(昭和15年 マンチュリア・デーリー・ニュース)にはこうあります。
 
廟は満洲建国の偉業に殉職せる日満文武官其の他の英霊を合祀せるもので、大同、盛京両大街交叉点を正門とせる聖域約四十万平方米の境内に、帝宮に北面し、東洋風を基調とし、近代化学の粋を蒐めたる荘重雄大なる大建築物である。(略)構造は鉄骨鉄筋コンクリート造りで、外部は花崗石貼り、屋根は琉璃瓦葺、軒廻りは極彩色。内部は主として大理石及び漆塗仕上である。
 
また、「素描大満洲」(昭和16年12月25日 細谷真美館大連出張所)には「康徳七年竣工、同年九月十八日から三日間に亘り」鎮座祭が行われたことや、その施設の構成について「正門、神橋、中門、内門、廻廊、東西の各廂殿、角楼、祭殿、霊殿等」と書かれています。
 
「素描大満洲」(昭和16年12月25日 細谷真美館大連出張所)より「新京……建国忠霊廟」

 
「第一回登録 満洲国写真集」(康徳8年12月25日 満洲事情案内所)より「建国忠霊廟(新京)」

 
「最新新京概観」(昭和17年2月25日 大正写真工藝所新京営業部)より「建国忠霊廟」

 
「躍進満洲画帖」(康徳9年8月1日 新京観光協会)より「建国忠霊廟(新京)」

 
「最新満洲展望」(昭和19年2月10日 大正写真工芸所)より「新京・建国忠霊廟拝殿」

 
絵葉書「満洲所見」より「建国忠霊廟」

                                                                                                                                                                                 


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