スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 2013.12.08 Sunday
  • -
  • -
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

金州

「満洲国旅行案内」(昭和7年8月5日 新光社)によれば、「金州は関東州租借地内では、大連に亜ぐ都市で」あり、「関東州内に於ける満鉄以外の唯一の鉄道である金州、城子瞳間の金福鉄道の起点」です。なお、金福鉄道は「日本鉄道旅行地図帳 満洲樺太」(平成21年 新潮社)によると、昭和14年に満鉄に買収され、満鉄金城線になっています。

「沿線写真帖」(明治45年6月 満洲日日新聞社)より『金州附近龍口河ノ橋梁』


「満洲の旅」(昭和15年 マンチュリア・デーリー・ニュース)に掲載の金州駅のスタンプはこんなものです。同じものが以下に紹介する絵葉書にも押されています。


「簡易満洲案内記」(昭和13年 南満洲鉄道株式会社)にしたがえば、金州駅は古来の金州城の外にあり、駅周辺は新市街となっています。

「満洲土産写真帖」(大正11年5月10日 山陽堂書店)より『金州城内全景』


「金州名勝絵葉書」より『日清日露両役を偲ぶ金州城』


「金州名勝絵葉書」より『金州民政署』


金州の周辺には日清・日露戦争の戦蹟・遺蹟が多く存在します。
日清戦争に関するものとしては、三烈士処刑の地、清国軍人戦亡碑、三崎山が挙げられます。
≪三烈士処刑の地≫は「満洲国旅行案内」(昭和7年8月5日 新光社)に「西門を出て西南二三町のところ、鐘崎、山崎、藤崎の三烈士が処刑に就いた地で、今、一本の楡の木の下に柵を結つて、碑が建つてゐる」とあります。碑銘は「鐘崎三郎山崎羔三郎藤崎秀蔵三士殉節之処」。
≪三崎山≫はこの三烈士にちなむ山。「簡易満洲案内記」(昭和13年 南満洲鉄道株式会社)に「三崎山と呼ぶ六十八米の丘の東端、標高四十米のことろに至れば「殉節三烈士碑」が立つ。(略)三崎山とは三士の姓に皆「崎」の字あるに依り命名された」とあります。
同書に、詳細な事情が書かれています。要約すると、第二軍の通訳であった三人が、明治27年10月23日、金州方面の敵情偵察に出たものの清国兵に捕らえられ、同月30日に処刑された。明治28年2月7日に、その遺骸を掘り出し、「大日本志士(各姓名)君捨生取義之碑」3基を建てたが、三国干渉で遼東半島を返還することになったため、碑は東京・泉岳寺に移された。その後、大正2年に現在の碑が建てられた、ということになります。

「金州名勝絵葉書」より『壮烈鬼人も哭く三崎山三烈士の碑』


「満洲土産写真帖」(大正11年5月10日 山陽堂書店)より『金州三崎山殉節烈士の碑』


「満洲写真帖」(大正15年4月15日再版 東京堂)より『金州ノ三崎山』


なお、この写真には碑の手前に囲いが見えますが、キャプションに「石柵内ニ在リタル記念碑ハ先年靖国神社ヘ移還セラル」とあります。これは、泉岳寺の後に靖国神社にさらに移したということでしょうか。それとも別の碑のことでしょうか。
 
≪清国軍人戦亡碑≫は「明治二十八年五月我軍の建立したもの」と「簡易満洲案内記」にあります。

日露戦争に関するものには南山、乃木勝典少尉の碑、大和尚山があります。
≪南山≫はロシア軍が陣地を置いた場所で、その攻略に日本軍は死傷者4387名を出したほどの激戦地でした。その≪南山≫には、南山神社、鎮魂碑、乃木将軍詩碑、昭忠碑、戦蹟塔、露軍戦没者共同墓碑があるそうです。このうち≪乃木将軍詩碑≫は「山川草木轉荒涼/十里風腥新戦場/征馬不前人不語/金州城外立斜陽」の七言絶句を刻んだもの。≪昭忠碑≫は「日露戦役後金州の支那人士が、我が軍の忠烈に感激して建てた」ものと「満洲国旅行案内」にあります。また、山頂にある≪戦蹟塔≫は「夜は電光仕掛で列車中からも指呼せられる」と「簡易満洲案内記」にあります。

「金州名勝絵葉書」より『英霊永へに眠る南山神社』


「満洲土産写真帖」(大正11年5月10日 山陽堂書店)より『金州南山忠魂碑』


「満洲写真帖」(大正15年4月15日再版 東京堂)より『金州南山ノ鎮魂碑』


「満洲土産写真帖」(大正11年5月10日 山陽堂書店)より『金州南山戦蹟記念碑』


「金州名勝絵葉書」より『血染の聯隊旗で有名な南山戦蹟記念碑』

 
≪乃木勝典少尉の碑≫は、「満洲の旅」(昭和15年 マンチュリア・デーリー・ニュース)によると「駅の東十八町、八里庄の警官派出所の裏手、樫林の中に乃木勝典少尉の碑が建つてゐる。金州占領当日激戦で金州東門外に傷き此地に於て没したのであつた」とあります。

「満洲写真帖」(大正15年4月15日再版 東京堂)より『金州乃木中尉戦死ノ場所』


「金州名勝絵葉書」より『乃木勝典中尉と八里庄に於ける戦死の地点』

 
≪大和尚山≫は、奇観と多くの寺観で知られる山ですが、そのうちの朝陽寺は「明治三十七年五月、南山攻撃に際して、伏見宮貞愛親王のこの寺に駒を駐め賜ひし事蹟がある」と「満洲国旅行案内」にあります。

「金州名勝絵葉書」より『南満随一の霊峰 大和尚山の偉容』
 

スポンサーサイト

  • 2013.12.08 Sunday
  • -
  • 13:26
  • -
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

コメント
コメントする








   
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< August 2019 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

sponsored links

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM